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9.11 20年目に

911
今年で20年目になる
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私は2000年のバレンタインズデー2月14日にニューヨークに移住してきました。

その当時、私はシティーカレッジというジャズ科のある大学にトランスファーして
1年目でした。
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朝、祖母が夢に出てきて、怖い夢だったので、実家に電話すると
お婆ちゃんの方が、えりかさんニューヨークはテロが起きみたいよ!大丈夫?と言われました。私は無事よ!とお婆ちゃんに伝え、テロが起きた事をしる。その後家の電話の家の回線が使えなくなりました。

携帯に、大学の友達から連絡がありました。
『ERIKA!朝9時からの授業があったんだけど、テロがワールドトレードセンターで起きたから、授業がキャンセルになったんだけど、地下鉄が動いてないから家にも帰れず、家に待機させてくれない?と二人の友達から言われ、大学まで徒歩で5分だったので、家に来ました。でも一行に地下鉄が動かなりので、2人は歩いたら何時間もかかる家まで、歩いて帰っていたのを覚えている。


ガーディアンエンジェルに入っていた、大阪からの友達で空手の先生もしていた、SHOちゃんは、テロが起き、まだ沢山の人が埋もれて出れないでいる聞いて、すぐ助けにいくと連絡ありました。私も一緒にいく予定にしていたのだか、私はハーレムからだったので、遅くて、もう外部から人が入れない状態になっていました。
SHoちゃんは死体を何体も運んだと凄いショツクを受けていました。煙がたち、白いこながかなり舞っていて、全く前が見えない状態で、大変だと。Shoちゃんは幽霊や、スピリチュアルを全く信じてなかったが、グランド0に行き、救助に携わっり、沢山の遺体を運んだ夜は、夜自宅で寝ていると、何人もの人の悲鳴や呻き声がきこえ、人が助けてくれと手を伸ばし、襲ってくる現象がおきて、その後暫くうなされていました。

大学は、他国籍の人の生徒が色々な国から来ていたので、色々な宗教の人が入り混じっていて、大学では今回のテロがなぜ起きたのかや、色々なディスカッションが開かれていた。
大学でそんなディスカッションが行われた日の翌日には、新聞に、なぜN Yでテロがあったのか歴史を辿ってるディスカッションが開かれていた!馬鹿ども大学生め!と批判する記事が新聞に載っていた。

テレビを見る習慣がなく、うちにはテレビがなかったが、テロが起きて、ケーブルに入り、テレビをみはじめた。
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アメリカのテレビは、毎日、アフガニスタンの人々が、笑いながら万歳する映像が毎日流れた。そしてテロの映像で、悲しむ遺族の映像がずっと流れた。日本の番組にも入っていたが、流れているニュースが少し違ったりして、困惑したのを覚えている。アメリカのT Vを毎日見ていると、アフガニスタンの人が万歳してテロで亡くなった人を喜んでいる見たいな映像だったので、怒りが込み上がるような映像が毎日流れた。メディアでかなりコントロールされていることをひしひし感じた。
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私はテレビをみず、ラジオをよく聞いていたので、その時の男性リポーターの声、彼が色々な悲惨な状況を説明したりしていたので、彼の声をTVとかラジオで聴くと、トラウマみたいになって、鼓動が早くなるのを感じた。写真を見るのも、かなりきつい。

次はテロは地下鉄で起きると言われていたので、毎日地下鉄に乗るたびに、今日死ぬかもしれないと思いながら、生きていたのを覚えている。

大学でも多国籍入交じり、イスラム教徒を批判する風潮がひろまりテロについて色々な人が色々な意見を持っていたので、本当に緊迫していた。

しりあいの旦那さんはワールドトレードセンターに勤めていて、その日たまたま気分が悪くて仕事を休んで助かった人もいらしした。

お亡くならりになられた方も沢山いた。
そして、その日ワールドトレードセンターオフィスの仕事休み、たすかったのに、次に飛行機で起きたテロに巻き込まれて亡くなられた方もいた。


今年20年ということで、テレビでも赤裸々にその当時の状況がテレビで流れ、そしてその日仕事で出勤されてて、なんとか外に逃れて、生き残った方々や、ご家族が亡くなられた方のインタビューが沢山放映された。

ボランティアーで沢山助けにいかれた方の中でも、今でも沢山、灰や身体に悪いものをすこみ、病気になって喉から液体しか飲めなく、酸素も24時間つけておかなければならなくなった人もいるようで本当に映像をみながらたまらない気持ちになった。

テロがおき、助けに灰を吸って、後遺症が出た方も、「国のために助けに入ったから、こんな身体になっても、また同じシチュエーションが起きても、次もまた助けに行くだろう」とおっしゃっていた。

20年前なので、記憶が少し薄れているが、当時、グランドゼロ近くに住んでた人は、暫く家に入れず、暫く立ってからも、ダウンタウン30丁目から下に住む人は、住民が証明される物や、IDを見せないとは入れない状況だった。
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師匠シーラジョーダンも20丁目付近に住んでいて、毎日人が焼ける、火葬場みたいなにおいがしていて頭が狂いそうだと言っていた。

ダウンタウンに住む人は本当にトラウマになり、後遺症がのこった方が沢山だと聞いた。
シティーカレッジは137丁目だが、そこまで毎日煙がきていた。

クラスメートもクイーンズで、青空の中飛行機が突っ込み、ビルが崩れ落ちる瞬間を見た人がたくさんいた。

20年もあれから経ったのだが、戦争や紛争、ヘイト、差別はまだまだ続いている。
アメリカも差別問題でもどんどん人が分かれてしまったり、コロナ渦中、コロナについて、そして、ワクチンについても色々考えがあり、人が分かれ、話すたびに緊迫した状況にもなったり。自然災害は待ったなしで、起きて、これからのあり方を本当に考えさせられる。

9.11から20年。
それから自分も21年NYに住んでて、その時に過ごしていた状況や、思い、テレビで映像や、インタビューを2時間観ながら、その時の状況がフラッシュバックした。

当時の事、9.11の映像を見ながら、亡くなられた方、そしてご家族への追悼の思い、深く祈りました。






by erikajazz | 2021-09-17 04:24

ジャズボーカリスト ERIKAのNEWYORKでの生活で、音楽を通じて感じる事を綴った日記