2020年 12月 31日
大好きな旨いもの屋 辰喜の親方とのお別れ
一番大好きだったお食事処の、山形県村山市にある「旨いもの屋 辰喜」の親方が12月22日の22時に食道癌でお亡くなりになられました。
親方のお料理は毎回感動があり、美味しいお料理でした。

辰喜の親方(中山敏)

初めて辰喜の親方のお料理を頂いたのは、2014年の春、辰喜でライブをさせて頂い日の前日でしたね。
本当に美味しくて凄く感動したのを今でも鮮明に覚えています。
ニューヨークから年に2回春と秋に全国ツアーをはじめて、ギタリストの那須さんと出会い、山形でライブを何日かブッキングしてくださり、ライブ前日と、ライブ後には、必ず、辰喜に連れて行ってくださりました。
山形、東北ツアーが終わった後も、また親方のお料理が食べたいと、2週間後に那須さんがライブをブッキングしてくださり、山形に帰ってきた事もあるほど、親方の大ファンでした。

仙台からジャズボーカリストのテリー橋本さんもゲストで!
テリーさんが仙台でライブを開催してくださり、ゲストでよんでくださり那須さんと
初共演させていただき、ステージの上で、オリジナルを凄くきにいってくださり、
山形にもと御誘いいただき、
山形に演奏に行かせて頂けるようになりました。
那須さんの義理の弟になる、親方の御店「辰喜」に連れて行っていただき、
親方と那須さんの妹さんで親方の奥様でもある麻子さん
に出会いました。
那須ファミリーには親戚、家族のように可愛がっていただいています。







那須さん本当に有り難うございます。😢




辰喜の親方のご両親は蕎麦屋さんをされていたので、
〆の山菜天ぷら蕎麦
お腹いっぱいなのに、また感動が押し寄せてくる美味しさ!
山でとれたてほやほやの季節の山菜

山形、東北ツアーが終わった後も、また親方のお料理が食べたいと、2週間後に那須さんがライブをブッキングしてくださり、山形に帰ってきた事もあるほど、親方の大ファンでした。
特に親方の鰹のたたきとメンチカツは大好物でした。


親方のメンチカツが好きすぎて、、、このジューシーさとマヨネーズのからみが、たまらなく美味しい。

美味しすぎるお刺身に
親方特製のジントニックも♬大好きでした。


辰喜ののれんをくぐると、閉店間際にもかかわらず、親方と、麻子さんが「えりかちゃん、おかえりー!」と笑顔で待っていてくださり、親方のお料理を堪能させて頂きました。
帰るときは閉店してからで、車までいつも送ってくださりました。

親方が鰹をいぶってくださっている姿
親方のお料理を頂くときは、いつも脳天をつきぬけるような感動がほとばしり、その後ほわっと別世界に連れていかれているような幸せな気持ちになりました。
これは音楽で感動するときも同じような感覚で、お料理を頂きながら、「生きていてよかった」と生きる喜びを感じさせてくれる、極上の一時を味あわせて頂きました。

「本当にコレだ!と思うまで、お料理の一品を何年も作り続けてても、御店でお客様にださないんですよ」と、親方はおっしゃっていました。
自分はそんな風に音楽と向き合えているのか?
いつも最高のお料理を探求されていた親方の姿に、毎回親方のお料理を頂きながら、感動すると同時に沢山の事を学ばさせて頂きました。

去年の秋に辰喜に行かせて頂いた夜、お店を閉められる間際に、親方が真ん中のテーブルに来てくださり、二人で少しお話をさせていただきました。


「うちに来てくださる常連のお客さんに、毎回ご来店頂く度に、やっぱり辰喜だね、本当に美味しいね、と思っていただくために、料理のクオリティーを維持、そして更に向上出来るよう、日々色々研究しています。」
「改装工事でスペースを縮小することにより、限られた人数のお客様一人一人に集中しておもてなしできるようになりました。このドアをスライドすれば、スペースができて、ライブできたり、団体出のお客様が一緒に座ることもできるようになるんですよ。」

親方と一緒にお話させて頂いた時間、親方のお料理に対する情熱、お店に来られるお客様一人一人に真摯に対応されるお人柄に、何度も目頭が熱くなりました。親方と麻子さんから頂いた。忘れられない思い出がたくさんあります。

その中でも、辰喜で頂いたイカ詰めに私が感動した事を親方は覚えていてくださり、 翌日のライブ会場に麻子さんが、「親方がえりかちゃんに」と、イカ詰めを持ってきてくださったことがありました。

真空パックでもってきてくださり、ツアーで疲れた身体に
優しさが身に染み渡った事を今でも覚えています。

親方、麻子さんの優しいお気持ちに感動し、想い溢れた日を、写真を見ながら昨日のように思い出します。
あと、辰喜がお休みの日に、「友達が穴子を釣って持ってきてくれたから」と、親方が穴子を色々なスタイルで料理してくださりました。
お店がお休みの日に、お料理を振る舞って下さった贅沢な時間も、忘れられない想い出です。




昨年の秋ツアー中に、那須さんが2晩連続で辰喜に連れていってくださり、その後ツアー最後の休みで山形市に延泊したときに、最後にどうしても辰喜で親方のお料理を食べたくなり、新幹線にのり、初めてひとりで村山に行きました
「新幹線でわざわざ一人できてくれて、本当に嬉しいよ。」と、笑顔で迎え入れて下さりました。



今年の5月6日に、辰喜でライブをさせて頂く予定でしたが、コロナ渦中で夢叶わず、本当に残念でした。
ニューヨーク、コロナ渦中の中で収束したら、また日本に帰り、山形に那須さんと演奏させていただき、辰喜に親方、麻子さんに会いに行き、親方のお料理を食べれると思うことは、辛いときの私の励みでした。






辰喜でいただいた、人生で一番美味しかったイチゴ
おとめごころ🍓
親方と麻子さんに頂きました♬


辰喜の親方のお料理がおいしい美味しいといっていたら、
地元の幼なじみの晶子が福岡から初一人旅で、辰喜+ツアーに
きてくれた!この幸せそうな顔!

2014年の春と秋のツアーから、毎回辰喜で旬のお料理を親方から頂き、そして家族や親戚のようにとても可愛がっていただきました。
仙台でライブのするときは、親方と麻子さんが、わざわざライブを観にきてくださり、帰り一緒に美味しいものを食べに行ったり、小旅行と仰り、何時間かドライブして、次のライブの都市に近い駅まで見送りに来てくださった日の事を思い出すと、胸がいっぱいになります。

さくらんぼ東根駅まで見送りにきてくださった、親方、麻子さんにお母様
親方の美味しいお料理を頂きながら、親方の作るお料理の話、素材の話を聞くのが大好きでした。
カウンンターの向こうで、営業後にお酒を嬉しそうに呑む親方の顔を思い出すだけで心が温かくなり、笑顔になり、いますぐ会いたくなります。




何十回、何百回食べても、いつも私たちに幸せや感動を与え続けてくださった親方は、素晴らしい職人、芸術家であり、唯一無二の存在である方だと思います。
辰喜という素晴らしいお店で、親方と麻子さんと出会ってから6年間、たくさんの美味しいお料理と、楽しい思い出を頂きました。
辰喜の名前由来そのままに、いつもたくさんの喜びを頂きました。
そして、皆様の思い出は親方が居なくなってからも、ずっと沢山の方々の胸に生き続けると思います。
麻子さんは21年間毎日親方と一緒に過ごされ、辰喜を支えてこられました。
麻子さん、そしてご家族の悲しみ、喪失感は、計り知れません。

親方がオフの日にいかれる焼き鳥屋さん

親方いきつけの、焼き鳥屋のマスタ−Keiさん!

親方の同級生でもあるJ's Bar のマスタ−じゅんいちさん!
お二人はバラ組だったそう!🌹

現在コロナ渦中のの中、アメリカから日本に帰り、親方とのお別れに立ち合えないのが本当に悔やまれますが、親方の旅立ちを遠くから祈ります。

大好きな親方にもう会えない、親方の素晴らしいお料理が食べられないと思うと、悲しくてたまりません。
一番好きだった、親方のメンチカツや、カツオのタタキの味を思い出そうとすると、たまらない気持ちになります。



今NYから親方のお別れに行けないのが悔やまれます。27日の15時、ニューヨークの夜中、親方の旅立ちを遠くからお祈り致します。
親方、本当にありがとうございました。
愛をこめて。
2020年12月27日
ERIKA

旨いもの屋辰喜は 弥蔵そば9代目でもある













きくを大量に、オフの日に辰喜できくの華をちぎるのを
お手伝いした日もありました.懐かしい



鴨鍋、蕎麦、した後の
チーズリゾット、バーナーで焦げ目をつけて表面カリカリ

こちらは昆布しゃぶしゃぶ
めっちゃヘルシーで美味しい♬
魚もいれて、だしがよくとれてる


その後の雑炊











































