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出逢いと別れ

今日はいつも御世話になっているラジオのディレクター新田さんのFacebookの日記をシェアーさせてもらいました。先日新田さんのお父様がなくなられました。朝から新田さんの文章に涙がこぼれてこぼれて、ブログでもシェアーさせていただきます。





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下記は新田さんのFacebookでシェアーされた日記です。
とても個人的なことを書きます。

1か月ほど前、父が他界しました。
父は東京生まれの東京育ち、老後も東京で過ごしていたため、病状が悪化したのを母から聞いて急遽仕事をすべてキャンセルし、金曜日の夜、東京へ向かいました。
翌土曜日、病院へ見舞いへ行きましたが、すでに薬で眠っている状態。でもとても落ち着いているように見えました。
その日の夜、妻と子どもにも来てもらい、翌日の昼過ぎ病院へ。
相変わらず父は寝たままでした。
しかし孫が来たことを伝えると、ちょっと呼吸のリズムに乱れが出て、声が届いたかのようでした。
寝たままの父の傍らで孫(私の息子)と写真を撮ったりしていましたが、特に変化もなかったので「そろそろ帰って、また明日来ようかー」なんて言いながら、でもなんとなく病院に残っていました。

1時間ほどして、変化が起こりました。
だんだんと呼吸のリズムが遅くなりました。
呼吸と呼吸の間隔が、10秒、15秒と広がってきます。
20秒、30秒・・・
とうとう次の呼吸が来ませんでした。

担当医から死亡が告げられたのは、夕方4時過ぎ。
家族全員が揃ったところで、見計らったかのように眠りについたことがとても不思議でした。
とても気持ちのよい天気で、東京の西部に建つその病院の窓からは、遠く富士山が見えていました。

10月16日は父の誕生日です。
生きていれば75歳。
あまり生まれ育ちの環境に恵まれなかった父でしたが、しっかりと愛情を注いで育ててくれたことにとても感謝しています。
しかし同時に、たいそうな変わり者でもありました。
クラシックとジャズを好み、本は週に5冊ぐらい読み、儀礼的なものを嫌って息子の結婚式にも出席せず、美食を好み、戦争を嫌い、テレビはNHKしか見ない、そんな父でした。
12歳から寮に入り、親元を離れた私は、思春期以降、長いことうまくコミュニケーションが取れずにいましたが、それでも尊敬する人物でした。
ちゃんと話せるようになったのは、ここ5~6年でしょうか?

もう父に会うことは相成りませんが、それでも思うことがあります。
存在しなくても、「思う」限り、ちゃんと言葉を言うんですよね。
話しかけたことに対して何を言うか、心の中でちゃんと聞こえるんです。
あるいは勘違いだとは思うんですけど、でも人と人とのつながりってそういうことなんだなと。
「人の間」ってそういうことなんだなと思います。

父の葬式は行いませんでした。(「直葬」というそうです)
仕事をリタイヤして長かったこと、親戚づきあいもあまりなかったこと、そしてもともと無信教だったこともあり、極々親しい者だけで、病院から斎場へ送り出しました。
キリスト教系の病院だったので、牧師さんのお言葉だけいただき、みんなで花を敷き詰めて車に乗せました。
でも、なんだかちゃんと心の通い合ったお別れができたと思います。
形式じゃないんだ、家族の心がしっかりつながっていればそれで十分なんだ、そんな父の言葉が聞こえた気がしました。

。。。。。。

新田さんの思いお父様に伝わってます。お孫さんもみれてお父様嬉しかったと思います。つくづく、生きる事について考えます。なくなった親友とは4年しか一緒に過ごしてないけど、その4年が別れてからの15年のベースになってて、彼女が生きて影響を与えてくれたことや、愛とかすべてが、自分の中に宿ってて、一緒に生きていると、人の生き様の影響力について人生をも変えるとつくづく感動します。だから与えられた愛とかすべてまた人に与えていけたらと思います。なくなった家族、仲間すべての愛するひとの思いを忘れないと思う日々です。ありがとう。新田さん。最後の文章のところでまた泣けました。今回のツアーの間に亡き親友の弟しんやに女の子が生まれました。
るいちゃんの生まれ変わりのような気がして、しんやも姉ちゃんの瑠衣から瑠をとって瑠香にしたといっていたことをきいてまた涙があふれました。生きる、死ぬ、産まれる。 生きる事を日々痛感させられます。今回は、なくなった宮崎のギターリスト濱砂くんのお墓参りにもいってきました。
色々な思いになりました。自分のCDをお墓においておまえりしてきました。
必死に生きる、必死に死ぬというショーシャンクの空にという映画の一言をいつも思います。

今日は新しいアルバムTrue Colorsから三曲目にはいっている
原題の直訳「出会いと別れ」というタイトルがついていた
ミルトン・ナシメントの1985年作品、"Encontros e Despedidas"の歌詞を載せます。

Encontros e Despedidas

Mande notícias do mundo de lá
Diz quem fica
Me dê um abraço, venha me apertar
Tô chegando...

Coisa que gosto é poder partir
Sem ter planos
Melhor ainda é poder voltar
Quando quero...

Todos os dias é um vai-e-vem
A vida se repete na estação
Tem gente que chega pra ficar
Tem gente que vai pra nunca mais...

Tem gente que vem e quer voltar
Tem gente que vai e quer ficar
Tem gente que veio só olhar
Tem gente a sorrir e a chorar
E assim, chegar e partir...

São só dois lados
Da mesma viagem
O trem que chega
É o mesmo trem da partida...

A hora do encontro
É também de despedida
A plataforma dessa estação
É a vida desse meu lugar
É a vida desse meu lugar
É a vida...



出会いと別れ

向こうに着いたらお知らせをちょうだい
ねえそこには誰が居るの
ここへ来てハグをして 強く抱きしめて
もうそろそろ到着

とくに計画も無く
気が向くままに立ち去る
そんな自由を私は愛す
そしてもし
帰りたいと願う時に帰れるなら
その方がいい

日々とは1つの旅
人生は駅で繰り返す
到着し居留まる人があり
去りてニ度と戻らぬ人もある

去りたいと願う人があり
残りたいと願う人がいる
見るためだけに訪れた人があれば
微笑む人もすすり泣く人もいる
そうして やって来ては去っていく

それは実際には同じ事
1つの旅の両側面
到着した電車は
出発する電車でもあるということ

出会いの時間とは
同時に別れの時間でもある
この駅のプラットフォーム
それは私の人生の場所
それは私の人生の場所
それは人生
by erikajazz | 2012-10-16 04:02

ジャズボーカリスト ERIKAのNEWYORKでの生活で、音楽を通じて感じる事を綴った日記

by erikajazz