2010年 11月 21日
2010年秋の日本ツアー後半期 NO2 ツアー終了から出国まで
さとこさん、スイートなご連絡ありがとうございます!
ツアー終わったあと次の日に、先生に無理をいって歯医者で親不知の手術をしました。もちろん顔はパンパンにはれました。ツアー後の一週間は、家に帰らず、小倉で井島塾をうけにピアニストで自分のソールシスターの香織にあいに、みえちゃんと車飛ばして北九州へベーシスト井島さんのセッションにいき、音楽についてミュージシャンと熱りあいました。井島さんは本当にかっこいい方でした。とにかく熱い!小倉に行く前に、ソールメートの香苗に会えたのが嬉しかった。彼女は自分のいろいろな時代をしっている唯一の存在だ。なみこ、あえなかったの残念。
るみあえて嬉しかった。
そして次の日に、学生時代の家族のような友達、くりが生まれたてのベイビーをつれて博多にくるというから、逆に彼女に会いに広島へ日帰りでいきました。会いたいと思う気持ちは人を動かすというか、くり気持ちが嬉しかったよ。 近くでも会えない人もいるのに、遠くでも会いたいとおもって会いにきたり、会いに行ったり、すごい。
広島で短時間でくりとかなにあい(くり、片道ありがとう!)その後、電車にのり、熊本にちかさん、たーちゃん、ゆみちゃん、ユーパン、みえちゃん(会えなかった><疲れていたもんね!メールありがとう!)すみちゃん、まきりん、そしてえりなに、かおっちゃんに会いにいった。ゆみちゃんには本当にいつも世話になるばかりだ。プレゼントだの、ご飯つれていってくれたり、本当に男前で熱くて、強くてそして涙もろく、優しい女子。また熊本で食べた、さめの軟骨の入った、サラダ、おいしすぎ!
瑠璃庵という店、最高においしかったです。いつもお世話になってるから自分が出そうとおもったら、トイレにいったすきにゆみちゃんが。
男まえすぎ。えりっく、次のCDにセーブしとかんと、っていって、もうスイートすぎ。その後に、PAVAOにいって、えりなにかおっちゃんに会って、またここで食べる。。その後BAHIAにいこうとしたら、時間が遅くなってしまっていて、ちかさんとたーちゃんと、ラーメン屋の社長のこむらさきさんがPAVAOにいこうとしていたのとおっしゃって(ちかさん、たーちゃんありがとうございます!)合流で、その後、みんなで飲みに。たーちゃんや、みんながオリジナル2曲の歌詞を覚えていて、歌ってくれていた。 また新しい曲かかんとなーって思った。みんなあつか人で、ストレートな人ばかりで、熊本そして皆を紹介してくれた、ベースの古庄さん、ありがとうございます。まったく知り合いがいないところから、こんなにかけがえのない出会いにめぐり合えました。
地元福岡も最高ですが、熊本も自分のふるさとのような感じです。熱い人がたさくんいます。
そして次の日は熊本から少し、ルイちゃんのところの福岡の田舎にかえり、お昼をたべて、また福岡へ、友達とお茶して、その後、ラジオ関係の社長そして、福岡のアナウンサーの女性の○さんとおいしいフレンチへ。新田さんも途中加わり、夜中の3時までバーをはしご。。。その後、社長ご夫婦の家に泊めてもらいました。今回二回目のお泊り。そして次の日は、ばあちゃんのお墓参り等をして、翌日のお世話になっているボビーJRの昴平くん恵里香ちゃんの結婚式の歌の最終練習。どちらも初めて歌う曲なので、ウェディングの歌が終わるまで、ツアーが終わったきがしませんでした。夜は高校の同窓会でトマト鍋パーティ。楽しかったです。[m:205] 常にTOO MUCH INFORMATION! 隠れるところがまったくない状態、、すいません!
素敵な結婚式で新婦の恵里香のご両親への言葉に涙がでました。
本当に感動的な結婚式に、胸がいっぱいになりました。いつもお世話になっているボビーさんの大事な息子でツアーも応援してくれている、昴平くんの結婚式で、サプライズで彼の大好きなスティングの曲ENGLISHMAN IN NYともう一人の大事な息子であるしゅんちゃんが昔から歌ってといっていたのに5年くらいのばしのばしにして約束をはたせないでいたAMAZING GRACEを歌えることは、本当に自分にとって意味あることで、嬉しかった。佐賀の式場で行われて、とても素敵だった。
GROOVYマスターママ、知亜莉ちゃんと同じテーブルに座れて嬉しかった。
ぼびーさんの祝辞もとても感動した。本当に素敵な結婚式だった。音響等を担当してくれた、さとしさん、本当にありがとうございます。
音楽は人生とともに成長する。日々の生き方、生きる姿勢そして、人への接し方、思い、すべてが一音一音にでてくること思います。日々そのつもりで、誠実に、大事に生きていきたいと思います。
慶、ライブと二回、長崎から来てくれてありがとね!再会できて、むちゃくちゃうれしかったよー。
懐かしかった!本当に、あのころからうちらも大人になったね。
最後の日は、なき親友るいちゃんの両親のカラオケ大会が1000人の大川のホールであっていたので、みにいきました。るいちゃんのお父さんは、昔プロのロックミュージシャンで、お母さんこと律子さんもカラオケの先生をしているほど、歌がうまい。心と魂を込めて歌う律子さんの声をきいて、カラオケを始めて10年になるといっていたが、自分もNYにわたり、ジャズをはじめて10年、るいちゃんが突然いなくなり、みんなそれぞれいろいろな思いをして生きてきて、その思いが律子さんの歌からにじみでてて、涙がぽろぽろでた。
ボビーさんこと、甲斐田ご夫婦がカラオケ大会の場所まで車で迎えにきてくださった。
きれいなネックレスをいただいた。本当に気持ちが嬉しかった。
歌も結婚式で歌わせえてもらって、思い出になったのに、プレゼントまで、ほんとにありがとうございます!
その後、またGROOVYへ最後の別れを、マスターとママに
いつもありがとうございます。><
最後の夜は、両親と、妹夫婦にはるちゃん(三歳になったばかり)とおいしい創作料理を食べにいきました。弟たすくが神戸にいていなかったですが、本当に家族はいいですね。
たわいもない話に幸せな気持ちになりました。
ツアーも終わり、もう最後の夜だと、せつなくなりました。
人生のほとんどが切ない気持ちです。。
次の日、朝一番には医者にいき、親不知の手術の糸を抜糸しにいきました。
その後、るいちゃんのところにおまいりに行きました。
お骨がまだ家にあり、手をあてて、お参りしました。
うちの父はしきりに、ツアー中、足がないので駅までおくらなければいけないのをかなり文句いってて、お前、たのむから、年に二回のツアーじゃなく、一回にしてくれ!1回だったら俺も我慢できる!と本気で春にかえってこようとおもうといったら、怒っていたので、(笑)律子さんが、
泣き笑いながら、お父さんが反対しても、えりっく、来年の春にかえってきてーといったら、うちのお父さんは、いや、本当に1回にしてくれ!親ですが、まったく帰ってこないでいいくらい寂しいとおもえないんですよ。妹、あやかの結婚式でもなかないくらい俺は冷血な人間らしいです。と自分で自負していた父。そういいながら、綾ちゃんの結婚式の次の日に鼻をほじりながら、なんだか、苗字がかわると、今頃寂しくなってきたーといっていたのをすっかり忘れている。
友達がまったくいないので、いつも携帯をかりているが、まったくシャイな父で、よく、人とのコミュニケーションを円滑にする本等をよんでいるが、いつも送ってもらっても、お世話になっている人に挨拶しないで、ブーっと車で帰ってしまう、アンタイソーシャルでネガティブな父。
でもなんだかんだで、いつも心配して、約束はきちんと守る誠実なお父さん。
うちのブラザーゆーの実家の川原まんじゅう屋の92さいで現役にお饅頭をつくるゆうのおばあちゃんと、お母さんから回転饅頭をいただいた。もっていかんね!と、ニューヨークにきてますます回転饅頭が大好きになった。白あんが大好きで、こげたのもいれて、4個ももらった。笑
律子さんと秀武さんは顔を赤くして、寂しくなると泣き出した。
うちの父は、それをみながら、自分より親のように情があられると笑っていて、もとプロロックシンガーの秀武さんは、ミュージシャンは熱くないと、自分も感動しないと、いい歌はうたえないんです!と泣きながら熱くかたっていた。おとうさんは相変わらずでしたが、律子さん、秀武さんとわかれたあと、二人して両手を大きく上にふって、なきながら見送ってくれた。
それをみながら、なんともいえない気持ちになって、車で瀬高の交差点の門を曲がって二人がみえなくなった後、川原まんじゅう屋の回転饅頭をたべたら、あまくて涙がぼろぼろ溢れた。
年月を超えた、思い、愛情、本当にいろいろなものへの感謝で、饅頭をたべながら泣いた。
99年の愛という戦争時代の連続ドラマで、甘いものを食べながらな子供が泣くシーンがあって、甘いものはほんとに緊張感をといてしまうんだなーっとそんなことを考えていた。律子さん、ひでむさんの思いに泣けた。
空港にはいつもお父さんが見送りにきてくれる。なんだかんだ文句をいうが、いつもそこに父がいる。お父さんは毎回同じことをいう。
おい!えりか、NYで働かせてもらっているサロンで技術を学んでスタイリストになれんとか?手に職つけて安定したほうが、、、、国民年金が、、等、毎回いわれる。
ゲートをぬけるとき、お父さんはテキストをうっていたが、多分お母さんに今からえりかが出ますとうっていたに違いない。
父は公務員を退職したが、今、放送大学でテレビで勉強している。
主夫を基本して、家にいるが、毎日、あったことをかきとめている。そこに、恵理佳を12時に駅までおくるとか、ライブのスケジュール等ぎっしりかいてあって、妹、お母さんのことや家族のこと、自分のことが書いてあるメモをみて、なんか、口ではネガティブでいやなことしかいわないけど、思いは深いなと言葉の裏に隠された愛情を感じた。
みえなくなるまで、手をふってくれた。
長くてすいません。自分の日記としてかきとめたくて、どんどんあることをつづっています。
ごめんなさい!
成田について、いろいろ手続きをした後、秋田から大将が見送りにきてくれた。
先日もアルフィーのライブに秋田から泊まりできてくれたのにもかかわらず、最後、また秋田から泊まりで、成田に見送りにきてくれた。大将は本当に熱い人だ。
とかね、、の話だよ。とるいちゃんが亡くなった後、路頭に迷う、自分やルイちゃんの友達、そしてるいちゃんの両親たちとみんなで、家で泣いて、泣いて、語ってすごした日々を共有した大事な人の一人だった。
飲んで、食べて、語りあった。
ニューヨークに何度も生き返りして、いろいろなところを飛行機で旅しているにもかかわらず、搭乗時間を、CHECK INというか荷物やボディーチェックの時間だと勘違いし(ありえない><)
ぎりぎりまで飲んで語り、そして、ボディーチェックをうけたら、フライトの20分前、、係りの人に誘導されて、走って急いで、飛行機へ乗り込みセーフ。いつも本当に守られている、ぎりぎりでセーフ。
恐ろしい。 大将とは6時ごろわかれて、お金をドルにかえたりしたり、トイレにいって余裕をこいたのが原因。最後、大将と律子さんに電話して、律子さんはまた泣いていて、自分が律子さんと電話ではなしている間に、大将の手首についていたとてもきれいな数珠を話している間に、手から手につけてくれた。みんなお前を応援してるし、みんな大好きだ。これがお前を守ってくれる。と一言、はぐもさよならもなく、じゃなーって去っていってしまった。
泣く前に去ったと後でメールが入ったが、相変わらず、粋なかっこいい去り方で、秋田からわざわざ見送りにきてくれる、深い愛情を思い、大将の後姿になんともいえない気持ちになった。
今回本当にすばらしい出会い、そして再会がたくさんあった。
13年ぶりの再会、、そして新しい出会い、62歳できらきらして、活躍している島津真由美先生には感動した。実に生命力が強い女性で、久しぶりに惚れた。
そして笠青峰先生。。
今回あえなかった大事な友達もいたし、いきますといっていけなかった、そばやさんの大将にも申し訳けなかった。
あまりにも怒涛の1ヶ月だったので、ニューヨークにかえってきてすぐ仕事だったが、それ以外は冬眠している。ここでつづれなかったかたがたへの感謝の気持ち、応援してくださる方々の思い、愛情を旨にまたニューヨークで刺激をうけ、もまれて、人間的にも音楽的にも成長してまた日本に帰ってきます。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
本当に本当にお世話になりました。
ありがとうございました。